読むと安心する現役僧侶の語り

人生は苦である。誰もが同じ苦しみについて悩んでいます。このブログを読んでいただき少しでも安心を感じていただけたら有難いです

ありがたい

お釈迦様は弟子達に、人間としてこの世に生を受けたことの意味を例え話で説きました。

どんな例え話かと言うと、大海の底に100年に一度海面に顔を出す眼が見えない亀がいます。

海面には亀の頭が通るほどの穴のあいた木のかけらがたまたまプカプカと浮いています。

その亀が100年に一度、海面に顔を出した時に、その木のかけらの穴に頭がはまってしまうことはあるだろうか?と弟子達に問いました。

そんなことはあるわけがないと弟子達は思いましたが、お釈迦様は有るとも言えないが、けっして無いとは言い切れないと説かれました

そして、人間として有ることは、この例え話よりも難しく奇跡的なことなんですよと説かれました。

有ることが難しい。

有難い。

この例え話が、「ありがたい」の語源なんです。

私達がも大切にしている言葉である「ありがとう」という言葉は仏教からきているんです。

毎日息をして、当たり前に生きていますが、この世に存在していることは実は奇跡なんです。

そんな奇跡の中、同じ時代に日本人として生を受けたわけですから、お互いが助け合わないわけにはいきませんよね。

私達は存在しているだけですごいことなんです。

小さな悩み事は助け合って解決しましょう。

年を重ねるということ

素敵な大人になりたいとか。

格好いい年の取り方をしたいとか。

年を重ねることを楽しむ表現はありますが、
誰もが年をとりたくないと心のどこかで思ってるんじゃないでしょうか。

このままでいいのかと考えたり、思い描いていた未来とは違っていたなと考えたりもします。

それでも明日はやってきます。

人間として生を受けたことはとても貴重でありがたいことだと、お釈迦様は教えてくれていますが、人間として生を受けたことによって悩んでいるんです。

ありがたいという事においては、お釈迦様がそう言っているのだからありがたいんだと割りきりましょう。

人生は悩むことの連続で、一つ悩みが解決しても、新しい悩みの原因があらわれます。

悩んでいられることがありがたいんだと思います。

そして年を重ねると悩みの原因がわかってきますが、その時に周りに語れる人がいないことが多いんですよね。

人それぞれ人生の価値観が出来上がっていって、久しぶりに会った友達の外見的な変化や、内面的な変化に驚いたり。

うわべだけの付き合いの人が多くなり、真面目な話ができなかったり。

年を重ねると本音で語れる友達がいなくなり、気づいたら孤独になってる人が多いです。

今は色々な方法でコミュニケーションが取れます。

このブログもそうです。

孤独を感じてる人達にとっての救いの場になったらいいなと思いこのブログを作りました。

私もこのブログでしか語れないことがあります。

一人で悩んでいる人はこのブログに語りかけて下さい。

仏教に関しての質問でも、仏事に関しての質問でも、些細なことでもかまいません。

学問の仏教ではなく、人生を幸せにするための実践の仏教を語り合いたいと思っています。

語り合うなかで、お互いが学べます。

これを聞法といいます。

気が向いたらでいいので、お話を聞かせてください。

次の時代

平成があと数ヶ月で終わります。

時代の節目です。

まだ実感がわきませんが、すごい出来事ですよね。

前にも書きましたが、次の時代はたくさんの困難が予想されています。

不安をあおってる訳ではなくて事実なんです。

誰もが生活に困る可能性があります。

高齢者の福祉に多くの税金が必要になるため税率があがります。

さらに食料や水不足の問題が深刻になり、食料品・飲料品の価格が今より高くなります。

2リットルのペットボトルの飲み物の価格が上がるというニュースがやってました。

次から次へと日用品の価格は上がってるんです。

では、可処分所得はどう予想されてるかというと年々下がっていきます。

生産年齢人口が減っていくのでもちろんGDPも下がっていきます。

日本で生活していて食べ物や飲み物に困るなんて想像つかないかもしれませんが、今のままではそうなる事がわかっています。

だったら一生懸命に働けばいいと思うかもしれませんが、人間のする仕事はじょじょに少なくなっていくのと同時に、親や親戚の介護で働く時間が奪われてしまうかもしれません。

なんで対策を打たないのかと思うかもしれませんが、なんとかなると現実に向き合ってない人と、その時にはどうせ死んでるからいいやと思っている人が多いからです。

この先30年以上生きられる人は、少しずつでいいので、現実に向き合わないといけないです。

時代の節目は命に対しての価値観が変わる節目でもあります。

明治維新や太平洋戦争の終戦も節目でした。

日本の仏教の節目は応仁の乱の時代でした。

多くの餓死者がでたそうです。

死体を食べていた人がいたなんて記録も残っています。

救いがない時代で、幸せについて、命について真剣に考えなければいけない時でした。

今、日本で知られている仏教の宗派の多くはその時代に誕生したのです。

自分の幸せのための仏教から、他人を救済する仏教が必要とされるようになったからです。

次の時代は皆が命を助け合い、新たな幸せを感じられる時代にならなければいけません。

まだまだ時間がありますので、少しづつ周りの人と話してみて下さい。

よろしくお願いします。

いつまでも独りではいられない

毎日何人の人と顔を合わして話をしていますか。

外交的な方は人に会わない日はさみしいですよね。

独りが好きな方は特に気にならないかもしれません。

成仏を目指す修行と考えると独りでいることも大切かもしれませんが、誰かを救うために何か行動を移すためには独りの力ではどうしようもありません。

今の世の中は一度レールから外れてしまうと、なかなか社会に戻ることが難しいです。

些細なきっかけから仕事を辞めてしまったり、学校をやめてしまったり。

健康な心と体であれば次に何をするか考えられますが、そうでない場合は引きこもってしまう場合もあります。

周りにそんな人がいませんか。

独りが好きな人もずっと独りでいるわけにはいかないので。

私も独りでいる事が好きなんです。

自分の事を知るにつれ独りが好きなんだなと気づきました。

独りが好きな人って誰かと一緒にいても、自分の好きなことをしたがるんです。

わがままというわけではないんですが、常におしゃべりをしてたいわけではないんですよね。

社交的な人達が集まるパーティーのようなものはたくさんありますが、内向的な人達が集まるパーティーはないですよね。

きっと盛り上がらないでしょうし。

独りが好きな人同士って知り合うきっかけがないんです。

そして、一度引きこもってしまった人もどこかで現状を変えないとと思っているはずなんです。

世間と接するタイミングを逃してしまうと、どんどんと自分の世界に入りこんでしまいます。

若いうちは、親が元気なうちはいいですが、引きこもる時間が長ければ長いほど社会復帰が遠ざかっていきます。

近くにそのような人がいたら勇気を出してコンタクトを取って下さい。

独りが好きな人の気持ちは独りが好きな人にしかわかりません。

救いたい人がいたら、お力になるのでお声がけ下さい。

一日一日

昼間に頭の中で繰り返し考え続けていた事も、夜になると少し整理されたような気がします。

ただ眠る前は考え続けていたことを思い出し、あれもしたい、これもしたいと考えはするけれど、実際に行動に移す余裕も勇気もない。

一人の僧侶として社会に貢献しなければと思ってはいるものの、なかなか物事が進まなくてまた繰り返し悩み考えだす。

道を切り開けない人がダメなわけじゃなくて、リスクを恐れずに進んでいける人の方が優れているわけでもないですが、自分の責任で先頭にたって道を切り開き進んでいける人は凄いと思います。

もちろん、それぞれに役割があるので、共に進んでいくことが大切なんですが。

これからは優しい気持ちで助け合う時代になるんです。

そうならないといけないんです。

ああしとけばよかった、こうしとけばよかったと必ず後悔をするとわかってはいても、
やるだけやり切って後悔しないように生きたいです。

日が暮れて、月が傾き、明日も必ず日が昇る。

今夜もきっと考えます。

人の意見に左右されない

私達が生きている世界は情報が氾濫しています。

知る必要のない情報がたくさん目から入ってきます。

一昔前のように知りたい情報を必死に求める時代ではなく、本当に自分に必要な情報かどうかを選別する時代です。

人間には環境に順応する能力が備わっています。

これは本能のようなものです。

なので、知る必要のない情報も私たちの無意識に影響を与えているのです。
 
本当に求めていないものを求めていたり、どうでもいいことにこだわったり。

実は全く望んでいないことを追い求めていたりします。

お釈迦様は亡くなる前に最期の説法をしました。

遺言のようなものです。

その一つは自灯明です。

自らを灯火として道を進んでいくという意味です。

色々な意見があり、知らずのうちに様々な影響を受けてしまいますが、結局頼りになるのは自分なんです。

人間はどうしても自分と他人を比べてしまいますが、それは本当に無意味なことのようです。

例えば、冬の雨が好きな人が雨に打たれている気持ちなど想像できないですよね。

でも無意味なことだとわかっても、自分と他人を比べてしまいます。

それもまた自分にしか映っていない自分にしかわからない世界なのです。

お釈迦様が伝えたかったこととは、あまり深く考えずに生きましょうということです。

人生は苦しくて当たり前

仏教は苦しみから誕生しました。

お釈迦様は悩み苦み、菩提樹の下で成仏したのです。

仏教が誕生する前から輪廻転生という考え方はありました。

輪廻とは苦しみ迷う世界のことです。

私たちが生きている人間界は輪廻の中にあります。

人間界の他にも餓鬼界、修羅界、地獄界などがあります。

悔しい時に言葉にする畜生という世界もあります。

お釈迦様はその輪廻から解脱して成仏したのです。

また、輪廻にいる私たちを救済してくれているのが菩薩様です。

菩薩として人々を救済する道を菩薩道と言います。

私たちも輪廻という迷い苦しむ世界で菩薩として誰かの役にたたないといけませんが、なかなかそうはいきません。

自分の幸せを求めることを考え、赤の他人の幸せを第一に考える余裕などないのが現実です。

そんな悩み苦しむ私たちを見守り、導いてくれるのが仏様です。

お釈迦様は生きとし生けるものは同じ苦しみを抱えていると説きました。

実は皆、同じ原因で悩み苦しんでいるんです。

本当に大切にしたいものがわかっていながら、大切にすることができなくて苦しんでいるのです。

自分だけが苦しいわけではなく、皆と苦しみを共有しているということを思い、安心してください。