読むと安心する現役僧侶の語り

人生は苦である。誰もが同じ苦しみについて悩んでいます。このブログを読んでいただき少しでも安心を感じていただけたら有難いです

この差ってなんですかを見て思ったこと

先日、[この差ってなんですか]という番組が葬儀について取り上げてました。

 

 

葬儀にふさわしい、ふさわしくないをクイズにしたバラエティ番組なんですが、よくテレビに出られている浄土宗の井上広法さんが解説をしていました。

 

 

どんなクイズかというと、ご冥福をお祈りしますというのはふさわしいかどうか?

 

 

お焼香は何回すればいいのか?

 

 

お焼香の前にご葬家に礼をするべきか?

 

 

それぞれの問題を井上氏が解説するのですが、はっきり言ってしまうと、この方の持論です。

 

 

 

仏教の大切な部分を全く伝えられていないんです。

 

 

 

編集でカットされてるんですかね。

 

 

一応、テロップで「宗教、宗派によって異なります」と出ていましたが、テロップをだすのであれば「井上副住職の持論です」と伝えるべきです。

 

 

大切なことを一言、二言でもいいから語って欲しいんですけどね。

 

 

 

一応、解説で少し違和感を感じた点をあげさせていただきます。

 

 

ご冥福をお祈りしますはふさわしい、ふさわしくないの話ではないですし、安らかにお眠り下さいというのは故人の生前のお姿に対しての言葉なんです。 

 

人が亡くなると天国にではなく極楽に行くと言っていましたが、極楽という言葉を出すのであれば、お浄土についてもう少しお話ししたほうがよかったです。

 

 

極楽は阿弥陀様がいらっしゃる西方極楽浄土という場所で、大乗仏教では極楽以外にも浄土があると考えます。

 

 

亡くなった後も修行が続くというのも、本来の仏教の教えとは違います。

 

 

 

最後に、天国や浄土というのは言葉の違いでしかありません。

 

 

この宗教を信じてる人はこの場所に行くとか、違う宗教を信じている人は違う場所に行くというのはないんです。

 

 

1つの場所に行くわけでもないし、複数の場所があるわけでもないんです。

 

 

この点はまたの機会に詳しくお話させていただきます。

 

 

 

どのように編集されたのかわかりませんが、少しお釈迦様のお話しをされたらまた違っていたと思います。

 

 

冒頭で、なぜ宗派ができたのか、宗派で作法に違いがあり、仏教の解釈の仕方に違いがあることを説明する必要もあったと思います。

 

 

仏教をテーマに番組作りをするなら世界の全ての仏教者が納得する構成でなくてはいけません。

 

まるで葬儀の常識のように語られていて、恥ずかしい思いをした年配の方がたくさんいたことでしょう。

 

 

ぶっちゃけ寺もそうでしたが、視聴率を第一に考えているのなら、もう少し工夫した方がいいですね。

 

 

あの放送を見て、面白いと思う人は少数だと思いますし、工夫すれば高視聴率が期待できるテーマでした。

 

 

 

これから本当の終活ブームがきます。

 

 

人間の死生観が変わり、命について真剣に考えだし、人間とは何かを深く考えるようになります。

 

 

つまり生と死の境界線が曖昧になっていくんです。

 

 

その境界線には何があるかということを仏教を気づかせてくれます。

 

 

なんでも気持ちが大事なんです

時々、香典はいくら包んだらいいですか?という質問を受けます。

私は、Googleで検索すると相場が調べられますよと答えます

本当に便利な世の中ですよね。

わからないことはネットが解決してくれます。

では、わからないことが少なくなったかというと、そんなことはないです。

すぐに調べられることにより、逆に気になることが多くなってないですか。

ネットが当たり前じゃなかった時代は、気になることをどのように解決していたんでしょう。

その頃の脳は気になることを忘れるように出来ていたのかもしれません。

話がそれましたが、香典の額についてです。

香典の額は故人様との関係性によります。

一つ言えるのは、香典は文化なので形式に従った方がいいです。

香典の相場はGoogleが教えてくれるのでご安心ください。

香典の額と故人様を想う気持ちは別ですよね。

人間は目の前にあるものが無くなる時にとても悲しいと感じます。

故人様の肉体に最も執着するのです。

しかし、故人様は色々な思い出を残してくれました。

例えば、歌声だったり、料理だったり、懐かしい香りだったり。

生前のお姿を見られなくなるのはとても寂しいことですが、決して目に映るお姿だけが故人様ではないのです。

香典の額で迷うことなんかに時間を奪われないでください。

迷うくらいなら、Googleを頼りにした方がいいです。

故人様は迷っているあなたを見て苦笑いしているかもしれませんので。

仏教=難しいから脱却②

約2500年前、実在した人間であるお釈迦様が菩提樹の下でお悟りを開き仏教が始まりました。

日本や世界には様々な仏教の宗派があリますが、お釈迦様がお亡くなりになられる前は宗派などはありませんでした。

仏がこの世からいなくなったことによる困惑から、色々な考えが生まれ、様々な仏教教団ができたのです。

また仏教教団の中でも様々な考えが生まれ、宗ができて、さらに宗の中から派ができました。

このように仏教が枝分かれしたことが、仏教を難しいと思わせてしまう原因なのかもしれません。

仏教には色々な解釈、実践の方法がありますが、全てお釈迦様が亡くなった後に残された人達が考えたものです。

私達はこう解釈する、こう実践するという理由で枝分かれしていったのです。

例えば、念仏を大切にする、禅を大切にする、法華経という聖典大切にする、または密教という考え方です。

仏教を大きな木に例えると、それぞれの枝は新しい解釈・実践なのです。

それでは仏教の根幹は何かというと、それはお釈迦様の教えです。

お釈迦様は苦しみの原因を説きました。

それは生老病死です。

生 - この世に生を受け、生きること
老 - 時間の経過とともに老いていくこと
病 - 生きている以上は病から逃れられないこと
死 - 命には限りがあり、いつか必ず死ぬこと

生きとし生けるものは、この条件からは逃れられません。

私達は法の中で生きているからです。

病気になった時、老いを感じた時、身近な人が亡くなった時に生老病死を深く考えますが、普段はあまり意識しないものです。

お釈迦様は生老病死を”逃れることのできない苦しみ”と説きました

仏教は、お釈迦様も悩み苦しんだ生老病死の解決から始まったのです。

成仏されたお釈迦様の最初の説法が、この苦しみの原因を明らかにし、本当の幸せを得られる方法についてでした。

 

namandabu.hatenablog.com

 

時には常識を疑ってみる

私たちが生きているこの世界はまだまだわからないことばかりです。

この世界とは法のことです。

例えば、地球はなぜ丸いのか、海の底には何があるのか、太陽はいつから燃えているのか、宇宙に果てはあるのかなど、疑問に思うことは数えきれません。

人間は法を全て理解することはできません。

もし理解できていると言っている方がいたら、それはその人の世界の話です。

全ての生きとし生けるものが共有しているのが法です。

つまり、1人1人が法を自分の世界として認識しているわけです。

世の中で一番美味しい食べ物はカレーだと言う方は、その人の世界では一番美味しい食べ物がカレーなんです。

一年が367日だと信じている方は、その人の世界では367日あるというルールであり、正しい、正しくないの話ではないという事です。

お釈迦様は亡くなる前に自灯明と、もう一つ法灯明という言葉を残されました。

namandabu.hatenablog.com

法灯明、法を灯火として進んでゆくという意味です。

人間が認識している常識は法ではありません。

1年が365日だという常識は絶対ではないという事です。

毎日東から昇って西に沈んでいく太陽は法ですが、太陽の温度が約6000度であるというのは現代の仮説なんです。

あくまでも信じる信じないは自分次第です。

常識にとらわれすぎると本当に大切なものを見失います。

法を信じ、自らを信じる。

自分の世界を変えられるのは自分自身だけです。

自灯明・法灯明。

お釈迦様の遺言です。

時には歩みを止めてみる

毎日楽しいことばかりではないですよね。

楽しいこともあれば辛いこともある。

何を楽しいと感じるのかも人それぞれ違っていて、誰かにとっては楽しいことでも違う誰かにとってはとても辛いことかもしれません。

辛いことに対しての耐性も人それぞれで、ストレスにとても弱い人、環境の変化にとても弱い人がいます。

些細なことでも楽しいと思える人がいれば、しばらく心から笑えてない人もいます。

楽しそうにしている人も、心の中では辛くてたまらない場合があります。

人生は辛くて当たり前なのですが、辛いことから逃げない、辛い道を選んだ方が将来のためになるというのは全ての人に当てはまるわけではありません。

楽しいことよりも、辛いことの方が比べものにならないほど多いと思う方は、歩みを一度止めた方がいいです。

時の流れを止めることはできないからです。

時間は法です。

何もかもがうまくいってない時に、時の流れと共に歩んでしまうと、自分を見失なってしまいます。

自分を見失うと、時の流れが不規則になります。

睡眠障害鬱病の原因です。

最近溜息ばかりついてませんか?

家族や友人知人など周りで溜め息ばかりついている人がいませんか?

お節介とは思わずに休息をすすめて下さい。

職場に迷惑がかかるという理由で歩み続けないといけないと思い込んでいる方もいます。

今歩みを止めることは、結果的によい休息になることを伝えて下さい。

大切なのは休息をとった後のことです。

学校を風邪で休んだ後に、体調がすぐに良くなった経験ありませんか。

時間がゆっくり進んでいる気がして、とても前向きになります。

自分が辛くて限界と早い段階で気づくことが大事です。

社会に戻れないんじゃないかと無理をしてしまい、本当に体調を崩してしまうと休息の期間が長くなります。

そして、休息を取る為には周りの人のサポートが必要です。

休息をとれた人は本当に大切なものに気がつきます。

本当に大切なものに気がついた人は必ずサポートする側に周ります。

何かに助けられ、何かを助けている、これが布施行です。

人生は辛いことと楽しいことの繰り返しです。

楽しい時間は経つのが早く感じますが、辛い時間は経つのが遅く感じるだけなんです。

誰もが人生で一度ゆっくりと休息が取れる仕組みを作れたらなと思いました。

 

仏教=難しいから脱却①

仏教には宗教、学問、文化、色々な側面があります。

みぢかにお寺がある環境で育ち、私達が当たり前のように使っている挨拶、迷惑、便利、愛嬌などの言葉が仏教用語であるのにも関わらず、日本人の中には仏教を毛嫌いする方がいます。

宗教は怪しいから、危険だから、また難しいからという理由からです。

宗教が原因で起きた悲しい歴史があるのは事実です。

今も世界には宗教間の紛争が絶えない地域がありますし、原理主義、過激派、狂信者、聖戦と聞くと怖いイメージがありますよね。

宗教は人を結束させるので、戦争に利用されやすいんです。

だからと言って日本仏教が危険かというと全然そんなことはありません。

もちろん怪しい宗教はありますが、そこら中にあるお寺が全て怪しいかというと全然そんなことはありません。

仏教を毛嫌いしている方はアレルギーのように宗教を拒絶する体質になってしまっているのかもしれません。

疑問に思っていることはスマホが解決してくれる時代なので、曖昧なものを拒絶したくなる気持ちはわかります。

仏教の面白いところは、毛嫌いしている人の方が確実に成仏して仏様になれるという点です。

阿弥陀様の名前を一度は聞いたことがあると思います。

阿弥陀様は登っている人を見守り、落ちてくる全ての人を漏らさず救う転落防止ネットのような仏様なんです。

仏教は約2500年前に実在した人であるお釈迦様が菩提樹の下で悟り、成仏して始まりました。

お釈迦様が無くなった後に仏教は中国、シルクロード朝鮮半島、海を渡って日本に伝来しました。

日本に仏教が伝わった時はお釈迦様がお亡くなりになられて約1000年経った後なんです。

その約1000年の間で仏教は発展して、複雑になってしまったので、仏教は難しいというイメージを持たれている人が多いのだと思います。

仏教を学問として深く追求すると難しいかもしれませんが、仏教の最も大切な教えは全然難しくありません。

実はとてもシンプルです。

それでは仏教の最も大切な教えとは何かを次の投稿でお話します。

 

 

存在することがありがたい

殺人がなぜいけないのか、自殺がなぜいけないのか、種々な意見があります。

大多数の方が殺人や自殺を否定します。

肯定する人は冷たい人、変わってる人だと思われても仕方ありません。

難しい言葉で答える人もいるでしょうし、感情論で答える人もいるでしょう。

人それぞれ命に対しての価値観が違うので誰もが納得する答えは見つかりません。

結局、ダメだからダメっていうのが一番納得する答えなんじゃないでしょうか。

この世界は絶妙なバランスで維持されています。

この瞬間は誰一人が欠けても存在し得ないんです。

ちょっと内容が難しくなりそうなので、この件の詳細は別に投稿します。

何を言いたいかというと、誰かの命を奪ったり、自ら命を断つということは多くの人の運命を変えてしまうと言う事です。

家族、友人、知人の運命はもちろんですし、地球の裏側の名前も知らない人の運命にも影響を与えます。

仏教の最も大切な教えの一つである諸法無我です。

命を奪う、断つという重大なことに限らず、自分勝手な小さな言動も世界に小さな影響を与えています。

社会問題になっているプラスチックストローの海洋汚染の問題はまさにそうです。

私たちはこの世界をシェアしているのです。

法の世界をシェアしているです。

私たち一人一人がかけがえのない存在なんです。